名言 PART 2  .

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以前、マザーテレサの格言をご紹介しました。

今日は第2弾! Σ(゚Д゚)ワスレタコロニヤッテクル。

 

ガンジーの名言をご紹介いたします。

ガンジー:インドの弁護士、宗教家、政治指導者。インド独立の父と称される。

 

握り拳と握手はできない。

 

 

速度を上げるばかりが、人生ではない。

 

 

束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。

悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。

逆境があるからこそ、私は走れるのだ。

涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。

 

 

明日死ぬかのように生きよ。

永遠に生きるかのように学べ。

 

 

人間は、その人の思考の産物にすぎない。

人は思っている通りになる。

 

 

他人に変わって欲しければ、

自ら率先して変化の原動力となるべきだ。

 

 

多くの犠牲と苦労を経験しなければ、

成功とは何かを決して知ることはできない。

 

 

弱い者ほど相手を許すことができない。

許すということは、強さの証だ。

 

 

怒りは酸のようなもので、

注ぐものにも増して、

その器に大きな害を与える。

 

 

毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。

そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。

 

 

臆病者は数の力を喜ぶ。

しかし、勇敢なる精神をもつ者は、

一人戦うことを誇りとする。

 

 

報酬を求めない奉仕は、

他人を幸福にするのみならず、

我々自身をも幸福にする。

 

 

満足は努力の中にあって、結果にあるものではない。

 

 

良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。

 

 

臆病な者は愛を表明することができない。

愛を表明するとは勇敢さの現れである。

 

 

女性の直感は、しばしば男性の高慢な知識の自負をしのぐ。

 

 

何か信じるものがあるのに、

それに従って生きない人間は信用できない。

 

 

非暴力には敗北などというものはない。

これに対して、暴力の果てはかならず敗北である。

 

 

私の生き様が、

私のメッセージである。

 

 

【ガンジー】

1869年、英国領インド帝国(現在のグジャラート州ポールバンダル)に生まれる。父は、当時のポールバンダル藩王国の宰相。

小学校時代は、成績や素行も悪く、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返したり、タバコ代欲しさに召し使いの金を盗んだこともあった。13歳のときに、インド幼児婚の慣習により結婚。

18歳で弁護士になるためにロンドンに留学。卒業後に南アフリカで弁護士として開業するも白人優位の人種差別政策下で強烈な人種差別を体験。その後、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。

インド帰国後は「非暴力、不服従」運動によってイギリスからの独立運動を指揮。1947年、ついにインドを独立させ、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させることになる。

1947年8月、パキスタンがインドから分離独立。ガンジーは、ヒンドゥー原理主義者からムスリムに対して譲歩しすぎるとして敵対視される。1948年1月、ガンジーは狂信的なヒンドゥー原理主義集団民族義勇団によって襲撃される。ピストルで撃たれたとき、ガンジーは自らの額に手を当ててこの世を去った。それはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作。78歳の生涯であった。

 

 

 

では、また明日…👋